遠征日記 5月19日

<三浦雄一郎日記>

いよいよ、明日の朝五時、ベースキャンプを出発する。
3月に日本を出発して、ほぼ2ヶ月が経ち、その間、チベット問題でチョモランマ側の登攀を諦め、ネパール側のエベレストを再チャレンジということになった。2003年の時と違うのは登山計画に関して中国聖火隊の5月10日までの制約があり、我々だけではなく、今回エベレストを目指す各隊の全ての制約となっていた。我々の隊に関しても、僕自身がキャンプ2からできればローッエフェースの取り付きまで登って、高度順化と体調をみたかったが、これもキャンプ2以上の登攀が規制されていた。
結果として僕自身は2度の高所順応後、ディンボチェに降りて休養となったが、豪太、村口、五十嵐の三人はもう一度C2からローッエフェースの取り付きまで登った。しかしこのときも制約解除の影響で、ローッエフェースは一本のロープに150人以上のクライマーが取り付き、非常な混乱となり、危険極まりない状態で、彼らもC3まで登ることができなかった。そんなわけでいつもの年のように順当な高所順化のスケジュールを行うことが出来ず、かなり省略して今回の本番アタックになった。我々はウエザーニュースの天気予報をベースにこの限られた日数の中でベストと思われる日を決めての出発となった。
今回の一番の問題は、キャンプ2から上、C3(7200m),C4(8000m)、C5(8400m)の高所での僕自身の体調、特に心臓の不整脈がどうなるかが登頂計画に影響する。幸いなことにほぼ6600mまでのかなり強硬でハードなクライミングでもフラフラになるほど疲労困憊したけども、悪性の不正脈は出なかったことが非常に希望をもてる要素の一つ。ただしC2からC3、さらにその上は、想像を絶する厳しい条件。超一流の登山家でも数多く遭難している場所だけに、私自身含め、メンバー全員が、下りをふくめて、命がかかっている。お互いの安全を確認しながら、慎重に登攀と、そしてさらに下山の安全に全力を尽くす。
もう一つは
今後の課題として、シェルパと豪太の組み合わせ、または、五十嵐、村口の組み合わせ。特に村口、五十嵐はカメラの撮影があるのでシェルパのサポートが必要となる。豪太自身も、僕をサポートする為に、かなりの負担がかかるので、強力な若手のシェルパのサポートが必要である。
これは最終的にキャンプ4(サウスコル、8000m)についた時点で、シェルパたちの体調を見ながら組み合わせを考える必要がある。強力で確実な安全対策をとりながら、登攀、登頂、下山を安全に努めなければならない。今回は原則として、三浦雄一郎が限界を感じ、それ以上は無理という時点で、全員が引き返すものとする。もっとも大切なのは登頂を目指すことには変わりはないけども、チーム全体の安全。全員無事下山帰国を大前提としなければいけない。

attacksoubi.jpg
アタック装備一式

<三浦豪太日記>

今日はいよいよ出発前日となった。
昨日までは本来の登山以外のことに忙しかったが、今日は本当に最終調整だ。
山登りの道具から、医療機器、通信機器のチェックなど色々やっているとあっという間に一日が過ぎていく。

それでも、忙しく動いているほうが気が楽だ。
もし出発前の今日を完璧な状態で迎えたとしても、落ち着かなかっただろう。
何が、今回の挑戦が、今までの挑戦と違うかと考えてみた。
やはりそれは子供が生まれて父親になったことだろう。
今までも、8000m以上まで登ると緊張はしたし、もしかしたら命の危険があるかもしれないと、毎回考えてその為に様々な準備をしている。
しかし、今回は同じ事をしても「ちゃんと帰ってこれるだろうか・・」という思いが頭の隅っこにある。
生まれたばかりの子供を直接見たい、抱いてみたい。
これが、今回のチャレンジを落ち着かせない気持ちにしている理由だろう。
高度順化のときもそれは頭の中にあった。その為に念入りに準備をした。
死ぬかも知れないから死なないように準備をする。それが安全への基本だ。

ともかく、いつもの能天気な感じがなくどことなく緊張しているのは確かだ。
その気持ちを察してか、兄が赤ちゃんの写真をプリントしてくれた ― これを携帯サイズにして持っていく事にしよう。

前回のチャレンジよりやる事も持ち物も多くなったような気がする
インターネットが当たり前になり、リアルタイムの放映が当たり前になると今までのように日本に帰国してから写真をプリントするとか、ベースキャンプに戻ってから映像を送る事は許されなくなっているようだ。だから、前より技術は進んだはずなのに持っていく機材が増えた。
ハイテク機材を動かすためにバッテリーやその他の付属品が増えてしまったからだ。
そのうちスタジオを頂上に持っていく日も来るのだろう。
実際に中国が聖火を上げたときは15人のチーム体制で機材を山頂まであげたのだ。
僕達は4人しかいないので、工夫をしなければいけない。
まあ、出発前の準備と緊張で少し愚痴っぽくなってしまったが、それでもまだ準備が終わらない自分にちょっと腹立たしくなってきた。

yuta.jpg

もうひとつの心配事は、やはり父の不整脈だろう。
今回、父はとても調子がいい。
しかし、実際に75歳で不整脈を患った人が、エベレストのような高い山に登った例がない。
心房細動の再発、心房祖動の再発、そのほかの心臓の異常など、考えたらきりがない。

本来なら、ここでかっこ良くチャレンジ前の抱負などを話したいのだが・・・やはり心配事は尽きない。
でも、いつのときも実際のアクションに入ればが気が上に向くのだ。
僕がモーグル競技をしていたときもそうだ、試合中よりも試合前のほうが不安で押しつぶされそになる。
危険なアイスフォールにいるほうが、BCでアイスフォールの心配をするよりも落ち着くのだ。
ローツェフェースにロープでぶら下がっているほうが、準備で何を持っていこうと考えるよりも安心する。
だから、実際に登山道具をいじるっている方が今は安心する。
夜はゆっくりと数多いチビテ(ちっちゃい手袋)にゴムひもを通してから寝る事にしよう。
明日の今頃はC1だ。多分、明日のほうが気分のいい日記を書く事ができるだろう。
という事で、今晩は遠足の前日のようにドキドキして眠れないだろう。
天気予報はおおむね良好だ。ウェザーニュースの話しによると僕達の登る26日には低気圧は抜けていい日になるという。少なくとも安心材料がひとつあるというのはいいことだ。

<アタックスケジュール>

5月20日: BC(5300m)→C1(6400)
5月21日: C1(6000m)→C2(6400m))
5月22日: C2(6400)     
5月23日: C2(6400m)→C3(7300m)
5月24日: C3(7300m)→C4(8000m)
5月25日: C4(8000m)→C5(8300m)
5月26日: C5(8300m)→頂上(8848m)→C4(8000m)
5月27日: C4(8000m)→C2(6400m)
5月28日: C2(6400m)→BC(5300m)

順調に行けば26日が山頂アタック日となります。

Today’s 360°Panorama BCの天気
北の空 North 東の空 East 南の空 South 西の空 West
North East South West
.