遠征日記 4月24日

<三浦雄一郎>

やっとネパール側、エベレスト・ベースキャンプに着いた。これからいよいよ75歳エベレストチャレンジのスタートに立つことになる。ゴラクシェプからベースキャンプに行く道すがら、ネパール軍のヘリコプターが三回ほど上空を旋回していた。あとで聞くとネパールの中国大使と高官がBCへ来たらしい。ベースキャンプは全部で52隊と聞いたけど、実際、エベレスト登山許可があるのは32隊である、ともかく中国側から、チョモランマ山頂に聖火が上がるまで、我々は本格的な登山活動ができない。今回、先月のチベット問題(騒乱)から発した様々な事象により、当初より予定していた我々のチョモランマ登頂をネパール側に変更せざるをえなかった。すでに、去年のチョモランマ偵察時に、ベースキャンプを中国軍隊が支配しており、そのとき、我々のシェルパに、来年は外国のチョモランマ隊は一切いれないというはなしがあった。その後、様々な条件が変わりながら5月10日以降聖火隊が登頂した後なら解放するという話となり、我々も日本を出るときにその対応を考えていた。日本国内では、崔駐日中国大使や大使館の文化部の方々が応援してくれていたけれども、その間にチベット問題はひろがり。それでも三浦隊だけは特別に許可の可能性ありという話があったが、僕らが期待した時点でのチベット入域許可がおりなかった。もし行けたとしてもわが隊だけのチョモランマは、他の登山隊が強いられたいろいろな条件を考えると受け入れるのは難しかった。私は、去年の秋とそして今回日本出発する前も、ひそかに今年はネパール側になるのではないかと、思うところがあった。結果として、2008年チョモランマは再び、ネパール側から登攀するエベレストになった。ギリギリまで様々な選択肢を考慮したが、日本からのラサ送り予定の装備を念のため、カトマンズにおくっておいた。そしてチョモランマがエベレストに変更になった。

中国側ルートを断念・・・・これについて日本のテレビ局などから感想を求める質問がヒマラヤまで飛んできた。
答えは:
「登山や探検活動、あるいはスポーツにおいても昔から、こうした政治がらみの問題が幾つもあり、それにともなう予定変更はたびたびあることだ。今回はネパール政府が我々に急きょエベレスト登山の許可を出してくれたので、75歳の世界最高峰・・・もし富士山に例えると、御殿場コースからの登攀をしていたが、道路の崩壊や、いろんな事情で河口湖側からの登攀になることがある。しかしルートはどのような道でも、富士山を登ることには変わることはない。」
今回の75歳の世界最高蜂チャレンジにむけてのヒマラヤへの4回の遠征をこころみた。さらに2回の心臓の手術、その結果去年のチョモランマ6600mまでの高所への対応ができた。さらにそれ以上の可能性、登頂への意欲がわいてきた。 今回は特殊な事情を抱えた年であり、チョモランマがエベレストに変更になったとしても、自分の年齢と心臓の手術などいくつかの障害を乗り越えたチャレンジである。目指すのは世界最高蜂。今年のエベレストの結果がどうであり、将来、いずれかの時期に、わたしのチョモランマのチャンスがくるかもしれない・・・。

<三浦豪太日記> 

朝目が覚めて、テントからはいずり出ると、目の前には360度のヒマラヤの景色が広がっていた。
僕はテントから生まれた気分だ。
まだBCはできていないけど、それでもここはこれから1ヶ月間お世話になるところだ。
ここにいること自体わくわくする。
今回チョモランマからエベレストになったが、今朝はここにいることがとても正しく感じた
それは、何を根拠にそれを感じるわけではないが、普通なら、また登るのかと感じるところを、僕はまたここから登れるのか今朝感じたのであった。
今回のエベレストはどんな顔を見せてくれるのか、それが今から楽しみだ。その気持ちをエベレストのアイスフォールに向けて心の中で叫んだ。
朝からハイテンションである。

その勢いで、朝トイレテントから出てきた五十嵐さんを捕まえ、BC散策をすることにした。
一体全体僕たちはどういうところにいるのかと把握することから今日をはじめようと決めた。

まずは昨日、BCに入ってきた反対方面に歩いていくことにした。BCにはメインロードという道があり、ここがBCの環状脈となっている。すべてのヤックやポーター、BCをに入る登山隊はこのメインロードを通り分岐していく。
それぞれのBCに特別に道があるわけではなく。どこかに行こうと思えば他の隊のBCを直線的に横切ることもできる。
しかし、モレーン隊は起伏が激しく、最短距離で行こうとしても急斜面な氷に阻まれそれ回り道をせざる得ない。何度も周り道をしていると方向感覚がわからなくなり、自分のBCがどこにあるのかわからなくなる。大まかな位置はアイスフォールやヌプツェ、プモリといった地形を見て把握するが、何しろここには500ものテントがあるのでピンポイントで自分のテントがどこかというと心下ない。
各国のBCはそれぞれ個性的で、テントの色や、ダイニングの設置、ソーラーパネルを使っていたり、発電機を使ってライトの装飾をしていたりと、かなり個性に富んでいた。

気がついたのは、もしかしたら、僕たちのBCが一番中心にあり、せまいのでは
朝ハイテンションでおきたのが、散歩を終える頃には少しトーンダウンした。
しかし、他人の庭はよく見えるというもので、すめば都とも言う。
朝食を食べ終える頃には、うちのBCをエベレストBCのキングドムにしてやろうと意気込みながら始めた

まず今日の作業はみんなが来るのでそれぞれのテント場の修理である
とりあえずは場所は決まっているのだが、まだそれぞれ狭かったり、斜めだったり、ラフだったりと手をつけるところはたくさんあった。
ひとつずつ整理していく
今朝の作業を見てやはりシェルパのすごさに感動した。
彼らはつるはしとスコップを持たせるとスーパーマンになる
一心不乱につるはしで氷をたたくと氷の山が崩れる。瓦礫の山も一瞬にしてスコップではいてしまう。
12時を回る前にメンバー全員のテント場が整い、その上にテントが張られていた。
こうして見るとやはり住めば都だ。
お昼にヘリコプターの音が鳴り響く
ネパール軍のヘリが、中国大使(ネパール在中)をBCにつれてきたという
かれらは1時間ほど視察してまたヘリコプターで帰っていった。
中国の影響は現在ネパールでかなりある

メンバーは12時30分頃到着する
みんなを歓迎する。まだ、日本食が箱から出ていないので、まだシェルパ料理だが、それでもヤックカレーにこれまで食べていたバティ食との違いにショックを受ける
バティ食は確かにおいしいところはあったが、メニューはほとんどみんな同じといってもよかった。
新鮮な野菜がカトマンズから届き、それを調理してくれるだけで大満足である
午後は昨日、大まかに分けた荷物の中からら個人装備を取り出す
荷物はBCに直行させたものの中に、夜寝るのに必要な暖かい寝袋などが入っているので、それが見つけられないと多分夜は寒い思いをすることになる
なにせ昨日の夜はマイナス9度まで下がったのだから。
ドームテントも立派にできたので、中に電気製品や医薬品を入れる
発電機が回り、電気環境はしっかりと整った。

夕方になり、シェルパの一人、ペマがネパール軍の親玉を知っているというので、お父さん、僕、兄、ラクパさんと挨拶することにした
何せ目の前なので川をひょいと越えるだけでいける。
ネパール軍の親玉はスニールさん。ペマと一緒にエベレストに03年登ったという。
スネールさんはすでに僕のちちがくるという噂を聞いていた
ぜひ、会いたいということだったので今日あえて光栄だという

ただし現在の条件は厳しく、通信はここに預け使う時には一言かけるように、撮影は原則的には5月10日までだめだが、事前に言ってくれれば、なるべく目立たないよう撮影してくれればOKだという

一通り挨拶した後、それほど印象は悪くなかった
しかし、毛利さんがひっきりなしにカメラをだしてお父さんを撮影している姿をみて、他の隊からクレームが来たらしく夕方、僕たちに注意をしに来た
まあ、他の隊に強制をしているなかネパール軍の前で堂々とテレビカメラを出していたら当たり前だが…

ということで、今日からBCの生活が始まるのであった。

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夕景のヌプツェ

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つるはしで氷河を崩すシェルパ達

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