遠征日記 4月25日

<三浦雄一郎日記>

ベースキャンプ

午後4時15分、 一日じゅうゴロゴロして体がなまってしまうので、アイスフォールの入り口を毛利さんと散歩した。2003年の時と違ってベースキャンプあたりの氷河がかなり溶けて、10m-20mある氷塔が小さくなって、氷河が後退していることがはっきりとわかる。今年のアイスフォールのルートはとってもいいと、アイスフォール担当のシェルパ・チームが自慢していた。エベレスト西稜寄りのクレバスの少ないルートを選んでいるようだ。雪崩の音が五年前に比べて少ないような気がするとおもっていたら、アイスフォール右の中腹にアイスブロックが崩れ雪崩が発生した。このアイスフォールはやはりヒマラヤ最大の危険地帯にはかわりない。
ベース・キャンプができたので早めにプジャをやって、登山活動に入りたいと思っていたが、シェルパカレンダーによると月曜日までそれぞれの日が悪いので駄目だという。ほぼ四日間、おかげで、なにもせずBCで時間をつぶす。2年前のシシャパンマ遠征のときに出会ったイタリアの2人のマルコがやってきて俺たちのプジャは明日やると。彼らは仏教徒でもないし、プジャはあまり関係ないのだろう。ともかく、我々にとってこの4日間はお預け。体調はこのBCまで20日間ほどかけて登ってきたせいか、5300mの高所でものんびりしている分には平地とさほどあわりはない、下痢と風邪からやっとぬけだした。

<三浦豪太日記>

昨日、メンバー全員が無事ベースキャンプ入りして、今日は朝からベースキャンプつくり。
いろいろなものを動かしたり、直したり、まだまだ体の調子がこの高度になれていないから、ちょっとでも荷物を動かすと息切れが激しい。
これからまた高度を上げて行動しなければいけないなんて信じられない
考えてみればルクラの2400mからトレッキングを開始してここベースキャンプ、5300mまでゆっくりと高度順化しながら来たのだけど、これまでの高低差は2900m
ここベースキャンプから8848mの頂上までは8848m-5300=3548mある
ここまで来た高度差よりもこれから頂上まで行く高度差のほうが激しいのだ。
一ヶ月かけてここまで来たけど、これから一ヶ月かけて頂上に行くため、登ったりくだったりするのだ ・・・考えるだけ気が遠くなるけど、ここからが本格的な登山だ。

ここの天気は朝必ず晴れ、昼過ぎになると必ず曇る。
夕方になるとたまに雲が晴れ夕景がとても綺麗だ

夕方、夕景が綺麗だねとアイスフォールの方面を見ていると、ネパール軍の人たちがこっちを見ている。
僕たちは、見張られているのかなと思い、睨み返すと、テクテクとこっちに歩いてくる。
お、やべっ!と思い、何も悪いことをしていないのに身構えてしまった。
すると、彼ら、なんと父と一緒に写真を撮りたいということだ。
ネパール軍の親玉、スニールは2003年5月22日、父がエベレストの頂上に立った同じ日にエベレストの頂上に立ったという。
その時から、父に敬意を抱き、今回ここに来ていることを知り、一緒に写真をとりたかったのだが、シャイでなかなか言い出せなかったらしい。
たまたま、僕たちの隊で一緒にエベレスト登ったペンバというシェルパがいたから、彼を通して一緒に写真を撮って欲しいという旨を伝えてきた。
話してみるとなかなか気さくな人で、
昨日、中国からの高官がベースキャンプ視察に来た際、新たにエベレスト登山の条件を付け足されたが、それを突っぱねるということだった。
その条件とは今までの、5月10日のC2登山制限に加え、5月1日から5月10日まで、C2にて宿泊をしてはいけないという条件をいまさら中国がきて付け加えるというのだ。
これは僕たちにとっても、高度順化に影響するためぜひ、新しい条件をつきはねてほしいと思う。
その後、イタリア隊のマルコ(06年シシャパンマのときに友人となった)が来た
彼は8000m峰14座すべて登ったばかりだという。
ぜひ、一緒に食事をしようということで明日食事をすることになった。
・・・パスタが楽しみだ

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