遠征日記 3月24日

<三浦雄一郎日記>

夕べ雪が降って、畑や家の屋根が白くなっている。
昨夜は夜中の1時頃目が覚めたら、何となく眠れないままグズグズして朝になってしまった。
やはり軽い高山病なのか。昨日は雄大とゴンと3人で、今までナムチェまで来たなかで一番良かったと喜んでいたけど、まだ体が充分山に馴染んでいないようだ。
さくらロッジ 6時30分モーニングティ。 7時朝飯、ポテトパンケーキが美味しかった。カナダの高校生達とグッバイ、彼らはグッドラックと言って別れを告げる。今日は高所順応をかねて、ピンゾウロッジまで急斜面をゆっくりゆっくり登る。1時間15分でピンゾウロッジに着く。
奥さん娘さん犬まで大喜びで出迎えてくれる。紅茶やビスケットなど御馳走になって、約1時間休憩後、産経新聞の2人がエベレストビユーホテルに行ったことがないので、雪と緩いぬかるみの道を1時間登って着く。日本人も含めて30人ぐらいのトレッカーがテラスにいた。
残念なことに雲がどんどん湧いてきてエベレストは見えない。
ローツェやアマダブラムが少しだけ、顔をのぞかせる。
お昼はホテルで親子丼をたべ、シェルパミュージアムを見物するため下山。
雄大が日本のエミリからの電話で、プラビンがカトマンズの中国大使館にビザを取りに行ったらしまっていたと言っていた。チベットの動乱のあおりだけど、一応国境は3月一杯閉鎖のため、ビザがおりるのはそのあとかもしれない。幸い体調は三日目にしては快調。心臓も変な動きをせず頑張ってくれている。それにしても、チベット入りのめどが立たないのは気分的に良くない。それにもめげないで全員、体調、体力、気力をしっかり保ち上げていかなくてはならない。

<三浦豪太日記>

昨夜、夜半から雨の音がすごかった。
朝起きてみると一面雪化粧!!!
ナムチェの雪の朝はとても綺麗だ。
今日は高度順化でシャンボチェにいきエベレストビューホテルで昼食をとり、その後シェルパ博物館に行く予定だが、なかなかハードなので、疲れたら途中でも帰ろうということになった。
しかし、結局全部の行程を行うことになる。
朝方、スタートしたときは小雨が降っていたので、それなりの準備をしていったのだが、途中から太陽が顔を出し、とても暑くなってくる。
ここはプラス30度近くから、氷点下まで温度差が激しい。着るものの調整をこまめに行う。
僕たちがまず目指したのはピンゾーさんのおうち。
ピンゾーさんとは、父が1972年にエベレスト大滑降をして以来、の家族ぐるみの付き合いだ。
残念ながらピンゾーさんはほかのお客さんをトレッキングに連れていて留守だったが、ピンゾーさんの奥さんと娘さん、そして娘さんの子供が迎えてくれた。
ここにはチベット犬がいる。
うちにもチベット犬がいてよく見ると似ているような気がする。

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エベレストビューホテル 親子で親子丼

うちのチベット犬は姉の犬だが、姉によると、チベット犬は狛犬の原型だそうだ。
チベットでは僧侶に飼われていて、巻物を持ってきてくれるというとても賢い犬種だというのだが、うちの犬に新聞を持ってこさせようとしたら、新聞を口に咥えることができず断念した。
ピンゾーさんの犬はクッキーをほしがっていたので、クッキーを餌にお座りとお手をさせようとしたが、どうやら英語と日本語は通じず、ただ単にクッキーを持ってかれてしまった。
ピンゾーさんの家での接待とご挨拶がすむと今度はエベレストビューホテルまでいく。
ナムチェからピンゾーさんの家、そしてエベレストビューホテルまで500mほどの標高差があるが、今回の父は一味違い、とてもいいペースで歩く。
心臓も正確なリズムを奏でている。とても調子がいい。
これまで父が不整脈に苦しんでいた(?)事を忘れるような歩きだ。
しかし、ここは油断禁物、いつも調子がいいときに失敗することが多いので気をつけよう。
エベレストビューホテルはその名のとおり、エベレストが一望できるホテルだ。
石造りのとてもいいホテルで、日本人の宮原さんが作ったホテルだ。
僕たちはここで食べる親子丼が大好きだ。
エベレストの景色もそうだが、ほとんど親子丼目当てにここまで僕は登ってくる。
実際、エベレストは厚い雲に覆われていたため、見えなかったが、さほど残念には思わなかった。
三浦親子は親子で親子丼を食べた。
これをしたいがためにここまで来たようなものだ。

エベレストビューホテルで落ち着いていると、突然雲に覆われ寒くなる。
あまり体が冷える前に下りようと下山をする。
次に向かったのがシェルパ博物館。
ここにはシェルパの登山の歴史や生活様式、シェルパ文化の祭典の模様などが展示してある。
シェルパというのは「東から来た人」という意味で、チベット人が東に来たという意味を持つ。チベットからヒマラヤ山脈を越えた南東側 ― つまりネパール、ブータン、インドに住み着いたチベット人がシェルパだという。
実際、シェルパ達の生活様式、言葉、宗教観など、チベットととても似通っている。
彼らが生活に使っている家や家事の道具が展示してあり、どれも実際に使ったことがあるような生活感あふれたものばかりだ。
登山の歴史を見ると、さすがに圧巻で、シェルパがこれまで世界の登山隊に貢献した影響力の強さを垣間見ることができる。またエベレストの複数回登頂経験者の写真がずらりと飾られていて、
そのなかに、いくつか見覚えのある顔がある。僕たちの遠征をこれまで助けてくれたシェルパや今回の遠征の手助けをしてくれるシェルパ達だ。改めて彼らのすごさを感じる。
ただ不思議なのは、シェルパの登山史の中で一番最初に写真が飾られているのが僕の父だった・・・考えてみれば、現在現役の登山家でこれほどネパールの登山と長い付き合いをしている人もいないのだろう。その横には有名なヒラリー氏とテンジン・ノルゲイ氏の写真が飾ってある。
朝から動き始めて、博物館を見終えたのが3時を過ぎていた
さすがに疲れたのでサクラロッジに帰ることにする。

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シャンボチェに高度順化に向かう三浦雄一郎

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