遠征日記 3月31日

<三浦豪太日記>

今日いよいよ空港があるルクラまで下りる。
最初の高度順化のフィナーレだ。
昨夜は、酸素が濃かったのでよく眠れると思ったが、風邪気味で鼻づまり、かえって呼吸不全状態だった。
今日まで、奇跡的にお腹や体を特にこわさなかったが、最後になってやっぱり風邪気味になった。
この高所順化で一度はどこかおかしくしたほうが、あとの調子が良くなると思っている。
人間、一度苦しい思いをすると体も気持ちも引き締まるのだ。

・・・ということで、今日はルクラへ直行。
昨日からコマサ(角谷君)という元クラーク高校のOBの子がシャンボチェから合流した。これまでずっと大滝さんについてカメラの勉強を兼ねてトレッキングをしていたのだが、大滝さんが昨日カトマンズへ戻ったので、これから一緒にルクラまで行くことにした。
そのコマサ君もシャンボチェでお腹をこわして、珍しく元気がない。
彼は現在、ネパールに在住の報道カメラマンとして活躍しているのだが、風土に慣れていたはずの彼でも調子は悪くなるのだ。

本日もいつもどおりに午前中はあっけらかんと天気がいい。
父の歩くスピードも、筋肉痛がとれたせいかずいぶんと調子がいい。
ナムチェからルクラまでの道程はどんどん周りの緑が増えて、明らかに酸素が濃くなるような気がする。これまで4000m以上のところにいたので、えらそうに、ここは空気が濃いな、と気取っていってみるが、実は現地の人はルクラだろうが、エベレストのBCだろうが関係なく重い荷物を背負って歩いている。そう考えると、空気の濃さをここで感じること自体、僕はまだまだということだ。

このエベレスト街道には名所が多い。
道すがら、沢山の巨大なマニ石(石にネパール語でお経が描いてある石)がいたるところに転がっている。モンジョにあるクンブ地方への関所の前には立派なゲートができて、そこには「ジョモミヨラサンマ」というエベレストの神様がこのクンビラ(シェルパ族の聖なる山)の神様とともに描いてあった。この女神はローツェとエベレストのコルを大きな虎にみたて、その上に座り、片手にペリットをもっている。

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<ジョモミヨラサンマ>

ルクラに近くなるとコンデリやクスマカンブルといった街道の奥では見えない、素晴らしい山麓を見ることが出来る。この山は緑豊かな大地から聳え立つので、その大きさは際立って見える。
ルクラ手前の谷には神様の木というのが祭ってある。いったい全体なぜ神様なのか、サーダーのダヌルはよく説明してくれないが、日本にもご神木は全国にあり、それを伐ると祟りがあるといわれているので、「この木なんの木気になる木」と、言ってむやみに触らないほうがいいのだろう。

ルクラに近づくと、父はかなりスピードを上げ始めた。
調子がいいのだろうが、後ろについている僕たちの息も上がってくる。
その後ろからイラン人数人が父を追い抜いた。
父はそれに挑発されてさらにスピードを上げる。
ダヌルは途中のバッティで「あと1時間半くらいかかる」と、いった地点からなんと1時間でルクラについてしまった。最後はスポーツをしたような爽やかな気分になった。

今回のトレッキングは大成功だ。
なにがよかったというと、やはり父の調子がここ4年間で一番よかったのと、僕がお腹を下さなかったので、トイレットペーパーの消費量が少なかった・・・ということか(以前、途中の売店のトイレットペーパー買占事件があった)。
今回のトレッキングは、シェルパ宿であるバッティに泊まって動いた。通常のキャラバンスタイルだと、専属のコックが好みの料理を作ってくれるため食事内容は保障されているが、今回のように各所のバッティ任せだと、料理がどうか心配だった。
しかし、心配無用でバッテイの料理もなかなか美味しく、バッティごとそれぞれ味わいがあるということがわかった。
芋はとても美味しく栄養価満点だったし、チキンカレーには必ずトマトが入り、ヤックカレーはヤックを煮込んだスープが使われることは共通しているが、そのほかの味付けは日本の味噌汁の味が各家庭で違うように、それぞれ違うのだ。
ナムチェバザールでは、都会でも食べられないような本格的で濃厚なピザや、ほんわりモチモチしたパンや焼きたてのアップルパイが食べられた。
なんか高度順応の総括なのに食べ物の話ばかりだが、僕が言いたいのは、こんな標高3000m以上の処にある町でも世界の人々が集まってきて、それを受け入れるシェルパの人たちがいるということが素晴らしいと思う。
ぜひ皆さんも気軽に、、ものは試しにこのあたりのチキンカレーでも食べ歩いてみたら面白いのではないかと思う。

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