遠征日記 3月31日

<三浦豪太日記>

今日いよいよ空港があるルクラまで下りる。
最初の高度順化のフィナーレだ。
昨夜は、酸素が濃かったのでよく眠れると思ったが、風邪気味で鼻づまり、かえって呼吸不全状態だった。
今日まで、奇跡的にお腹や体を特にこわさなかったが、最後になってやっぱり風邪気味になった。
この高所順化で一度はどこかおかしくしたほうが、あとの調子が良くなると思っている。
人間、一度苦しい思いをすると体も気持ちも引き締まるのだ。

・・・ということで、今日はルクラへ直行。
昨日からコマサ(角谷君)という元クラーク高校のOBの子がシャンボチェから合流した。これまでずっと大滝さんについてカメラの勉強を兼ねてトレッキングをしていたのだが、大滝さんが昨日カトマンズへ戻ったので、これから一緒にルクラまで行くことにした。
そのコマサ君もシャンボチェでお腹をこわして、珍しく元気がない。
彼は現在、ネパールに在住の報道カメラマンとして活躍しているのだが、風土に慣れていたはずの彼でも調子は悪くなるのだ。

本日もいつもどおりに午前中はあっけらかんと天気がいい。
父の歩くスピードも、筋肉痛がとれたせいかずいぶんと調子がいい。
ナムチェからルクラまでの道程はどんどん周りの緑が増えて、明らかに酸素が濃くなるような気がする。これまで4000m以上のところにいたので、えらそうに、ここは空気が濃いな、と気取っていってみるが、実は現地の人はルクラだろうが、エベレストのBCだろうが関係なく重い荷物を背負って歩いている。そう考えると、空気の濃さをここで感じること自体、僕はまだまだということだ。

このエベレスト街道には名所が多い。
道すがら、沢山の巨大なマニ石(石にネパール語でお経が描いてある石)がいたるところに転がっている。モンジョにあるクンブ地方への関所の前には立派なゲートができて、そこには「ジョモミヨラサンマ」というエベレストの神様がこのクンビラ(シェルパ族の聖なる山)の神様とともに描いてあった。この女神はローツェとエベレストのコルを大きな虎にみたて、その上に座り、片手にペリットをもっている。

img_0640.jpg
 

<ジョモミヨラサンマ>

ルクラに近くなるとコンデリやクスマカンブルといった街道の奥では見えない、素晴らしい山麓を見ることが出来る。この山は緑豊かな大地から聳え立つので、その大きさは際立って見える。
ルクラ手前の谷には神様の木というのが祭ってある。いったい全体なぜ神様なのか、サーダーのダヌルはよく説明してくれないが、日本にもご神木は全国にあり、それを伐ると祟りがあるといわれているので、「この木なんの木気になる木」と、言ってむやみに触らないほうがいいのだろう。

ルクラに近づくと、父はかなりスピードを上げ始めた。
調子がいいのだろうが、後ろについている僕たちの息も上がってくる。
その後ろからイラン人数人が父を追い抜いた。
父はそれに挑発されてさらにスピードを上げる。
ダヌルは途中のバッティで「あと1時間半くらいかかる」と、いった地点からなんと1時間でルクラについてしまった。最後はスポーツをしたような爽やかな気分になった。

今回のトレッキングは大成功だ。
なにがよかったというと、やはり父の調子がここ4年間で一番よかったのと、僕がお腹を下さなかったので、トイレットペーパーの消費量が少なかった・・・ということか(以前、途中の売店のトイレットペーパー買占事件があった)。
今回のトレッキングは、シェルパ宿であるバッティに泊まって動いた。通常のキャラバンスタイルだと、専属のコックが好みの料理を作ってくれるため食事内容は保障されているが、今回のように各所のバッティ任せだと、料理がどうか心配だった。
しかし、心配無用でバッテイの料理もなかなか美味しく、バッティごとそれぞれ味わいがあるということがわかった。
芋はとても美味しく栄養価満点だったし、チキンカレーには必ずトマトが入り、ヤックカレーはヤックを煮込んだスープが使われることは共通しているが、そのほかの味付けは日本の味噌汁の味が各家庭で違うように、それぞれ違うのだ。
ナムチェバザールでは、都会でも食べられないような本格的で濃厚なピザや、ほんわりモチモチしたパンや焼きたてのアップルパイが食べられた。
なんか高度順応の総括なのに食べ物の話ばかりだが、僕が言いたいのは、こんな標高3000m以上の処にある町でも世界の人々が集まってきて、それを受け入れるシェルパの人たちがいるということが素晴らしいと思う。
ぜひ皆さんも気軽に、、ものは試しにこのあたりのチキンカレーでも食べ歩いてみたら面白いのではないかと思う。

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天気 Weather  
天気 Weather:
気圧 Pressure:
気温 Temperature (Hi/Low):
湿度 Humidity:
風速 Wind Speed:
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point ナムチェ 3440m
中間地点 Mid Point パクディン 2300m
最終地点 Finishing Point ルクラ 2700m
食事 Meals  
朝食 Breakfast オートミル、ハッシュブラウン
 
昼食 Lunch チキンカレー、茹で芋
 
夕食 Dinner チキンカレー、茹で芋
 
Today's Biometrics

遠征日記 3月30日

<三浦豪太日記>
久しぶりに今日は、3500メートルまで高度を下げて、一日休むことができる。
昨日、ナムチェまで降りてきたおかげで、休養をとることができた。
父の調子はよく、昨日9時間以上も歩いたにもかかわらず、筋肉痛程度だ。

父はヒザの調子がいいとうので、ナムチェからルクラまで歩いて降りて、そこから飛行機で帰るという。当初の予定はチョモランマ本番へ向けて無理をせず、そして疲れをあまり残さないように、ナムチェのすぐ上のシャンボチェというところから直接ヘリコプターで帰るつもりだったが、今朝それをキャンセルすることにした。
ということで今日は一日フリーだ。
今日は実は重要なニュースがあるという情報だ。
それはネパール側のエベレスト登山条件が政府より出されるとのことだ。
今回、僕たちは中国側(チベット)からのアプローチを予定していたが、現在のチベットの状況を考えて、いろいろな選択肢を考慮しなくてはならない。
そのなかで、今回ネパールから出される条件というのは非常に重要情報だ。
とはいえ、果たして本当に今日すぐに出ると限らないので、夕方まで時間をつぶす。
朝食後、僕は最近はまってしまったお絵描きをするために、ナムチェの街を散策する。
その間、父達は、エベレスト博物館をまた見にいき、後で合流して僕らのシェルパのダヌルの家に行ってダヌル家代々に伝わる、本物の「ジーストーン」を見に行くことにした。
ジーストーンとは、ネパールやチベットでは家宝といわれている特別な石で、ラサの大昭寺にあるお釈迦様の首にもかけてある由緒あるものだ。
本物なら、時価500万とも1千万円ともいわれているものだが、何しろまがいものが多く、僕らには偽物と本物の差がほとんど判らない。
今日、ダヌルに本物といわれるジーストーンを直に触らせてもらったが、少し重いかなという以外、これまで見てきた偽者との違いが判らなかった。

お昼は、Pizza houseというナムチェのピザ屋さんでピザを食べた。
クラストがしっかり作ってあり、チーズも濃厚で、とても満足な出来だ。

夕方、ナムチェのインターネット・カフェで今日出る予定のネパール側からのエベレスト登攀条件をチェックしてみる。
まだ、正式な公布は政府から出ていなかったが、エベレストの関連サイトに2日前にでた仮の条件があった。まだ正式なものではないが仮に検討されているのが大まかに下記の内容だ;

4月1日~5月10日までの基本案

・ ノーマルルートのみ許可(バリエーションルートは認めない)
・ 記録映像の禁止
・ 5月10日までC3以上まで登れない
・ サウスコルから頂上の登山工作は5月10日以降
・ C2~C3の登山時間は朝6時から夕方の6時までと指定する(ただし救助活動は除く)
・ リエゾンオフィサーがC2,C3に常駐し全ての登山活動の監視をおこなう
・ 午後6時以降の山での活動は一切禁じる(ただし救助活動は除く)
・ すべての通信(気象情報を含む)はリエゾンオフィサーの監視下のもとおこなう
・ 無線はネパール政府より指定された周波数を使う
・ ビデオやカメラ撮影(個人)は、5月10日まで禁止する
・ 近隣諸国に配慮した行動を行う
・ ゴラクシェプのチェックポイントを必ず通り、申告する
・ メディアやプレスは必ず政府より事前許可を取ること。(BC以上の入山は禁止)

・・・といった内容だ。その他にも細かいことが諸々と書かれていた。
この内容を見ると中国側から上る聖火隊に配慮した内容であることが判る。
しかし、厳しい制限と時間的制約があっても、このような条件がはっきりとしていれば、そのなかでベストをつくして登山活動はできる。
問題はチベット側での登山活動について、許可そのものを含めて具体的な条件が未だ何も提示されていないということだ。いったい全体、僕たちの隊はいつチベットに入れるだろう・・・。
厳しいとはいえ、条件が設定されているほうがまだ計画は立てやすい。
ただ、ぼくが気の毒に思うのは、このネパール側のルールを施行するためにC2とC3に常駐しなければいけないリエゾンオフィサー達だ。

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天気 Weather  
天気 Weather:
気圧 Pressure:
気温 Temperature (Hi/Low):
湿度 Humidity:
風速 Wind Speed:
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point 終日ナムチェ
中間地点 Mid Point
最終地点 Finishing Point
食事 Meals  
朝食 Breakfast オートミール、ハッシュブラウン
 
昼食 Lunch ピザ
 
夕食 Dinner
 
Today's Biometrics

遠征日記 3月29日

<三浦豪太日記>

今日はもともと、ディンボチェからパンボチェかタンボチェまでしか降りないつもりだった。
パンボチェなら1時間半、タンボチェなら3時間とみていたので、みんな、ゆっくりとおきて出発するつもりでいた。
ところが父が朝突然、「やっぱりナムチェまで今日は思い切って行こう!」と、言い出した。
もともと、予定より一日早くディンボチェを降りるのは、父のヒザを心配してのことだった。
しかし、歩いているうちに調子がよくなってきたのか、そして気持ちも大きくなってきたのか、急遽、ロングトレッキングを強行することになった。
僕は昨日ローツェを描けなかったので、朝のうちにローツェを描きにペリチェの途中まで登りなおしてから、後でみんなに追いつく予定で、先に出発してお絵描きをしていた。
僕はお絵描きに夢中になってしまったため、結局、1時間ほどみんなより出発が遅れた。
まあ、パンボチェまでには追いつくだろう、と思いタカをくくっていたが、パンボチェについても追いつかない。
どうやら父はとても調子よいようだ。
まあ、追いついても、埃がたくさん舞う後を歩くことになるので、久しぶりに一人歩きをエンジョイすることにした。
そういえば、この2年間、いつも父の体調が心配でほとんど父の真後ろばかり歩いていた。でも今回はほっといても大丈夫という確信があるからこそ、自分の時間でゆっくり歩けるのだなと思う。
久しぶりの一人歩きは新鮮だった。
山を見たり、写真を撮ったり、見る角度が変わるとぜんぜん違う顔を見せるアマダブラムに感嘆しながら歩く。
タンボチェまで約3時間、かなり満喫した一人の時間を過ごした。
タンボチェにつくと父、五十嵐さん、お兄ちゃんがすでにチキンカレーをオーダーして待っていた。
行きの行程で食べたここのチキンカレーの美味しさが忘れられず、昼はここにしようと前の晩からみんなで決めていた。
ここのチキンカレーは絶妙の味わいがある。
新鮮な鶏をトマトで煮込み、スパイスを加える。ただそれだけなのに美味しい。その味を研究しつつ、一口づつ味わいながらスプーンを運ぶが、途中からもうどうでもよくなり、かなりのスピードでがつがつ食べた。
たぶん、この味は日本に帰ってからも、ふと街や駅でカレーのにおいをかぐたびに思い出すことであろう。カレーマニアには是非お勧めの<タンボチェカレー>だ。

タンボチェを出たのは午後2時半。ここから一旦、プンキテンガまで下り、そして再び坂を登りなおす。 ナムチェまで4時間はかかるだろう。
実際にそれくらいかかった。
ナムチェに着いたのは午後6時30分。
みんな疲れ果てていた。
3000m以上の高度で9時間に及ぶ行動をしたのだから当然だけど。
しかし、考えてみたら、山頂アタックのときは17時間以上行動しなければいけない。しかも酸素濃度が極端に低い標高8000m以上での話しだ。
道理で前回エベレスト登頂をして降りてきたら10キロ近くも痩せていたはずだ。

今日、ナムチェまで来たおかげで、明日は一日ナムチェで休める。
よかった。夜は気兼ねなく死んだように眠る。

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ナムチェへ向かってひたすら歩き続ける雄一郎

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天気 Weather  
天気 Weather:
気圧 Pressure:
気温 Temperature (Hi/Low):
湿度 Humidity:
風速 Wind Speed:
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point ディンボチェ
中間地点 Mid Point タンボチェ
最終地点 Finishing Point ナムチェ
食事 Meals  
朝食 Breakfast 茹で芋、ヤックカレー
 
昼食 Lunch チキンカレー
 
夕食 Dinner チキンカレー、ヤックカレー、シェルパカレー
 
Today's Biometrics

遠征日記 3月28日

<三浦豪太日記>

ディンボチェ、3日目。
今日は裏山、5077m地点まで登ってきた。
ここは昨年のアイランドピーク遠征で父が体調を崩し、登るのを諦めたところでもある。
ディンボチェは4000mをちょうど超えた高度にあるため、かなりの確率で体調を崩す。
実際、父はここに過去3ほど来ているが、3回とも体調を崩してめったに裏山の頂上まで登れることはなかった。最後に上ったのは前回のエベレスト、03年のときだ。

今回スムースに山頂までいけたことは、父の体調が2003年のエベレスト並みに調子がいいことになる。登るペースは一定で、呼吸も心拍数も安定している。
村口さんは「この分だと、チョモランマの頂上までいけるのじゃねえか」と、いっていた。
それほどまでに、調子がいいのだ

2003年、70歳での登頂から5年の月日をかけ、そのうち後半の2年は手術や体調調整に費やされた。しかし、その2年があったからこそ、今の父があるのだなとつくづくと思う。
今日、この裏山に登れたことにあらためてご協力いただいたドクターに感謝したい。

328jpeg.jpg
裏山登山

ここで順調に山登りが始められればいいのだが、現在状況はまったく見えない。
できれば今すぐにでも、チョモランマへ登りに行きたいのだが、国際情勢上なかなか難しいのが現実だ。それでも、道を探し、ベストなコンディションを保ち、挑むのが登山なのだろう。

ということで、いろいろ考えてばかりいてもしょうがないので、僕は新しい趣味を見つけた。
お絵かきだ。
前回、チョモランマABCに行ったとき、支援隊ツアーに参加してくれ剱持さんが、いつも絵を描いていた。それがとても上手く、あんなふうに書ければなと思い今回、東急ハンズでお絵かきセットを買ってきた。
これが面白い!!!
暇があれば、外にでてスケッチをしている毎日だ。
とにかくここは絵になるところが多い!
いままで普通にトレッキングしていた風景も、絵を描き始めて違う景色に見えるのが新鮮だ。
機会があったらぜひみんなに見せてやりたいのだが ・・・・
残念ながらまだそこまでの腕ではないので、そのうち披露しましょう。

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天気 Weather  
天気 Weather: 午前:晴天 午後:南から雲が湧き、雪
気圧 Pressure: 平均 600bar
気温 Temperature (Hi/Low): 最低 3℃ 最高 17℃
湿度 Humidity: 平均 55%
風速 Wind Speed:
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point ディンボチェ 4300m
中間地点 Mid Point 裏山頂上 5077m
最終地点 Finishing Point ディンボチェ 4300m
食事 Meals  
朝食 Breakfast 茹で芋、バナナパンケーキ、チーズオムレツ
 
昼食 Lunch ミックスピザ
 
夕食 Dinner チーズオムレツ、パスタ、シェルパカレー
 
Today's Biometrics

遠征日記 3月27日

<三浦雄一郎日記>

ディンボチェ滞在

もう10年以上前のような気がしていたが、それはほんの1年前、去年の4月だった。
その前年(06年)の12月、土浦協同病院の家坂先生による心臓アブレーション手術を行い、半年後にアイランドピーク遠征を行った。1回の手術では完璧ではない、と先生も話していた。
それ以前に話しを伺ったアメリカのユタ大学のドクターも同じ事を言っていた。
確かに手術前よりは、心臓の調子は良くなっており、術後の東京や札幌のトレーニングでは結果がとてもよく、東京のBCの低酸素室での負荷テストも、さほど問題がなかった、
術後のチェックを兼ねて、出発したアイランドピーク遠征、ルクラからパクディンで歩き始めた。
久しぶりのヒマラヤトレッキング、ペースを上げても心臓は好調、ところが3時間4時間と過ぎて、疲れがでて、気温が下がりはじめたころ、パクディンの石段を急いで登りはじめたら、突然、不整脈が出てきた。パクディンの夜は土砂降りの雨だった・・・・
翌日向かったナムチェ、ここでも6時間のトレッキング後、ナムチェの手前で不整脈がでた。
このときは、手術前より不整脈が収まるのが早くなったけど、タンボチェでは特に気をつけた。
体を冷やさないように、食べ過ぎないように ・・・ところが、夜しっかり水筒湯たんぽで身体を暖めて、ぐっすりと眠れたと思ら、夜中にかぶっていた寝袋が床に落ちてからだがすっかり冷え込んでいた。
これが悲劇の始まりだった。
翌日、朝飯のとき、ひどい寒気がして、下痢。このときに生まれて初めて血便が出た。
タンボチェからディンボチェまでのあいだ、絶え間ない下痢と休むたびに血便、体中の血がなくなるのではないかと心配するほどだった。
途中、パンボチェのバッティで一休みする - 本心はここで一晩泊まりたかった。
あとで考えると、そうすべきだったが、無理してディンボチェまで小雨のなか、ふらつく体を休み休み引きずりながら、重病人状態でたどり着いた。
一日休んでから高度順化のため、裏山に上ったけど。心臓がむちゃくちゃに乱れ、歩けなくなる。気力を振り絞っても、100歩も上れない。
休むたびにゴンが心電計を胸に当てる。
その心電図を日本に送る。するとデータを診たドクター達は一日でも早く帰れとカエルコールの連発だった。それでも無理をして、アイランドピーク、6000m付近まで行くと、もう一歩も足が前に出なくなる。
初めてエベレスト街道を訪れた1969年以来、タンボチェ・ディンボチェの間は僕にとって呪われた道だった。いつも風邪、高山病、下痢などに見舞われる。
2003年のときも、突発性の心房細動で気を失って、それを無理やりやっとの思いで、ペリチェの病院にたどり着いた。そのときは、シアトルのドクターのおかげで再出発ができた
そんなわけで、今回は気をつけ気をつけ、ナムチェからタンボチェ、そして標高4200メートルのディンボチェにやってきた。
今回はいつものテント暮らしと違い、シェルパの山小屋、バッティに泊まっている。
食事は特段美味しいとはいえないながら、ほとんど毎食、ジャガイモ、それも土がいっぱいついたものを皮ごと食べていた。
生まれてこのかた、戦争中の少年時代、食糧難のときも含めて、これほど続けて沢山のジャガイモを食べたことはなかった。
ヒマラヤのジャガイモはとびきり美味しい。シェルパ達の体力と健康も、このヒマラヤジャガイモから生まれているのかもしれない。
耕して、天にいたるといわれる段々畑、ヒマラヤ奥地のやせた土地、強烈な太陽、これがジャガイモの故郷である、南米のアンデス同様、パワージャガイモを育てている。
さらに、ヤックの糞やその他の本格的なオルガニックな肥料がたっぷりと使われている。
小粒だけど、僕にとってはケーキより美味しい。
下痢もせず、少々鼻づまりの風邪だけど、体調は良好。
ディンボチェまで、こんなに楽にあっというまに雄大とゴンたちと冗談を行っているまに、着いてしまった。そして4200mの高所でも、事前に東京で低酸素室に入っていたおかげで頭痛もない。
まず、この高所では70点くらいの体調。
3月27日、朝8時、全員でゆっくりゆっくり裏山登り。
心拍90~115、登りはじめは息切れ、心臓のちょっとした違和感があったけど、次第に息切れはしても、軽いジョギング程度。
東京で、足首に5キロの錘や背中の10キロのザックを背負ってウォーキングよりも、楽なくらいだ。去年の悪夢に比べたら、ゆっくりベースだと、軽快に登り続けられる。
産経新聞の木村さんは高山病なのに頑張ってついてきてくれる、
大変な記者魂だ。
村口さんは相変わらずトントンと好調に登って撮影をしている。
気がついたら、ずいぶん大勢のトレッカーたちが登っている。100人近いだろう。いずれも苦しく喘ぎながら ・・・我々は、約1時間半登り、無理せずそこで下山することにした。
まだまだいけるけど、体調を見るだけ、疲れをためないためにも今日の高所順応はこれまで。
おかげで昼飯をロッジで摂り、午後は読書をしてのんびりと過ごした。
夕方4時半札幌のテイネのキャンプに参加している子供たちに激励の電話をかける。
気になったのは、疲れたあと、汗をかいて体が一旦冷えると、濡れたシャツを乾いたのに取り替えて、羽毛服を着てもなかなか体温が上がってくれないことだ。年のせいだろうか。
今のところ、ユタンポ水筒で暖めるのが一番いいだろう。
そういえば父(敬三)が、年をとると、めっきり高所に弱くなるとぼやいていた。
この、高所(低酸素)と 高齢の関係がいったいどんな相互関係をしているのか、医学的に数値化できないだろうか、
例えば酸素濃度が21%ある平地で、20代の人と70代の人を比較すると、平均的に酸素摂取能力と比べて、70代の人は標高何メートルに相当するだろうか・・・
こういうことが解明できれば、高所トレッキングや登山が20代の人にとって4000mでも、60代の中高年にはプラス2000メートル、標高6000メートルに相当するのかもしれない。
これは今後、ゴンたちの高所医学的な研究テーマとして是非解明してほしい。

<三浦豪太日記>

やっとディンボチェについて落ち着いた気がする。
ここまでほとんど移動、しかも歩きが中心になっていたため、なかなか腰をおちつけることができなかった。
やはり、2~3日でも1箇所に滞在すると気分が違う。
しかし、ここはなんといっても4300mの高所。
4000mを超えると低酸素のため大概、僕は眠れなくなる (すくなくとも初日は)。
で、昨日の夜もなかなか眠れぬ夜をすごした。
しかし、眠れないのは悪いことばかりではない。
普段、僕は夜、横になるとすぐに眠気に襲われて寝てしまうのだが、高所では横になっても酸素が少ないものだから眠れない、すると高所思考モードになっていろいろ考えることができる。
高所では眠れないと考えるほうがむしろ体に悪いのではないかと思う。
眠れないことを考えることがストレスになって、自分の体調が悪いのだと暗示がかかってしまう。
考えすぎてしまうのは問題だが、たまに高所に来て眠れない夜をすごすのも悪いものではないと考えている。
昨日は今回の遠征の行く末について考えた。 今のチベットの状況、今後の展開の可能性・・・・
いろいろ選択肢を考える機会があったのでとてもよかった。
内容に関しては後々反映されるだろう。

今日の登山は裏山、4600mまで登ってきた。
父の調子がとてもよい
昨年のアイランドピークの順化に来たときはまるで、陸を歩く瀕死のペンギンのような感じだったが、今日は鹿とは言わないまでも、とても調子よく標高をあげることができた。
これまでの遠征や手術は無駄ではなかったなと、つくづく思った。
午後はテイネキッズキャンプに電話した。
4300m、ディンボチェからのメッセージ。
そういえば、今回、参加している子から手紙と家事でこつこつと貯めた、貯金を送ってもらった。
本当にうれしかった。また子供たちにあって、今回の遠征の話をみんなにしたいなと思う。
 
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ディンボチェの裏山を登る、三浦雄一郎、三浦豪太、三浦雄大

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天気 Weather  
天気 Weather: 午前:晴天 午後:南から雲が湧く
気圧 Pressure: 平均 600bar
気温 Temperature (Hi/Low): 最低 3℃ 最高 11℃
湿度 Humidity: 平均 60%
風速 Wind Speed:
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point ディンボチェ  4300m
中間地点 Mid Point 裏山  4600m
最終地点 Finishing Point ディンボチェ  4300m
食事 Meals  
朝食 Breakfast パンケーキ、茹で芋、ゆで卵
 
昼食 Lunch ゆで芋、ピザ
 
夕食 Dinner もも、茹で芋、スパゲティ
 
Today's Biometrics

遠征日記 3月26日

<三浦豪太日記>

今日はタンボチェに移動する日だ。
毎回、ここの標高4000メートル台への行程が鬼門だ。
03年のエベレストの時は下痢で水分不足になり不整脈がでた。
去年は血便がでて体の調子が悪くなる。
タンボチェは4300m。通常4000mに大きな壁があるというが、まさにタンボチェからディンボチェにいく行程がそれなのだ。
そのため、今回はかなり慎重だった。

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快晴の中トレッキング

特に食事に関しては辛いもの、油ものを避けてなるべく消化のよいものを選んだ。おかげで父の体調はよく、快調にタンボチェまで来る。
しかし、僕たちに日本から同行した産経新聞社の方が下痢になってしまった。
かなり辛そうな顔をしながら、取材のためとはいえ、一生懸命ディンボチェまでついてきてくれた。僕達は過去にみんな同じ思いをおおかれ少なかれしているので、気持ちはよくわかった。
この高度では、腹を下しやすいのである。
高所で酸素が少い分、胃腸にも酸素が充分にいきとどかない。それに加えて、移動の毎日のトレッキングや衛生問題などを加えるとむしろ健康的に過ごすことが難しい。
僕は、お腹をこわすことは、高所を目指す者たちにとって一種の洗礼だと思っている。

4000mを超えるとさすがに酸素の少なさを感じる。
03年の時、エベレストの6000メートルのハイキャンプで高度順化を行った後、ここディンボチェにアタック前の休養に降りてきた。その時は空気が濃く感じたが、今回のように久しぶりに下から登って来ると息苦しく感じた。ゆっくりと坂道を登っても、心拍数は上がり、呼吸が激しくなる。
これからここで3泊して高度順化を行う。
4800m程度の高度順化をすれば、チョモランマのベースキャンプにはスムースに入れるだろう。
とにもかくにもここでゆっくり腰を落ち着けるのが楽しみだ。

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天気 Weather  
天気 Weather: 晴れ
気圧 Pressure:
気温 Temperature (Hi/Low): 最低 3 ℃ 最高  20℃
湿度 Humidity: 40%
風速 Wind Speed:
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point タンボチェ 3880m
中間地点 Mid Point サモレ 4000m
最終地点 Finishing Point ディンボチェ 4300m
食事 Meals  
朝食 Breakfast チキンカレー
 
昼食 Lunch 茹で芋、スパゲティ
 
夕食 Dinner ホタテライス、パスタ、ホタテだし味噌汁、もも、ベーコン
 
Today's Biometrics

遠征日記 3月25日

<三浦豪太日記>

朝ナムチェを8時に出発した
今日は昨日とは打って変わっての晴天。ナムチェを出発しから30分ほどしてエベレストのビューポイントに出る。
朝はほとんど無風。エベレストがとても近くに見える (ネパール側からは<エベレスト>と呼ぶ。
中国側に移ったときは<チョモランマ>と呼ぼう)、父の双眼鏡を借りて頂上を見てみる。
エベレスト山頂もほとんど無風状態だ、もし登山隊が頂上を目指していたら絶好の登頂日和だろう。
僕は双眼鏡を見ながら、北側の稜線を見てみる。

325.jpg
エベレストに向かう三浦 雄一郎を撮影する村口さん

今回の遠征がうまく行けば1ヶ月半後にはあそを歩いているのかもしれないと思うと少し胸がドキっとした。
今回の北側、チョモランマのアプローチの前にこっち側のエベレストを見れてよかった。
たぶん、中国から見たチョモランマの印象も深みがますに違いない。

ナムチェからタンボチェに行くには、一旦、200m程高度を下げてから登りなおす。
ここは、高度順応の具合を確認するために、理想的な行程だ。
父は前回、この地点で不整脈が発生して、登るのに2時間半もかかった。
今日は1時間45分。地図のコースタイムが2時間なので、とても早いペースで調子よく登った。
ただ、少しがんばりすぎたのか、タンボチェについてから少し寝込んでいた
心配したが、1時間後には起きてきて、その後しっかりと夕食を食べた。
僕たちは移動中、昼食をあまり食べれなかったため、タンボチェについてからタンボチェベーカリーというパンとカフェの店にいった。
ここもナムチェに負けないくらいのおいしいパンとケーキを出す。アップルパイとチョコクロワッサンを食べたが、東京の代官山のカフェと比べたって、負けない味だ。
大満足だった
夕食は今回のサーダー、ダヌルが新しい鶏がはいったというので、お勧めのチキンカレーにした。
このチキンカレーは日本からも取材に来たほどという、実際食べてみたが、トマトベースでチキンの臭みはまったくなく、絶妙の香辛料が入っていた。辛さは自分で調整ができるように、スパイスが横についている ― とても良心的だ。
僕はここで何度かあまりにも辛いカレーを食べて下痢になり、遠征が終わるまで止まらなかったことがある ・・・・
明日はディンボチェに出発する。朝も美味しいカレーを頼むことにした。

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天気 Weather  
天気 Weather: 晴れのち曇り
気圧 Pressure:
気温 Temperature (Hi/Low): 最低 9℃ 最高 30℃
湿度 Humidity: 平均54%
風速 Wind Speed:
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point ナムチェ 3440m
中間地点 Mid Point プンキ・テンガ 3300m
最終地点 Finishing Point タンボチェ 3880m
食事 Meals  
朝食 Breakfast ポテト、オートミル
 
昼食 Lunch ポテト、アップルパイ
 
夕食 Dinner チキンカレー、ポテト
 
Today's Biometrics

遠征日記 3月24日

<三浦雄一郎日記>

夕べ雪が降って、畑や家の屋根が白くなっている。
昨夜は夜中の1時頃目が覚めたら、何となく眠れないままグズグズして朝になってしまった。
やはり軽い高山病なのか。昨日は雄大とゴンと3人で、今までナムチェまで来たなかで一番良かったと喜んでいたけど、まだ体が充分山に馴染んでいないようだ。
さくらロッジ 6時30分モーニングティ。 7時朝飯、ポテトパンケーキが美味しかった。カナダの高校生達とグッバイ、彼らはグッドラックと言って別れを告げる。今日は高所順応をかねて、ピンゾウロッジまで急斜面をゆっくりゆっくり登る。1時間15分でピンゾウロッジに着く。
奥さん娘さん犬まで大喜びで出迎えてくれる。紅茶やビスケットなど御馳走になって、約1時間休憩後、産経新聞の2人がエベレストビユーホテルに行ったことがないので、雪と緩いぬかるみの道を1時間登って着く。日本人も含めて30人ぐらいのトレッカーがテラスにいた。
残念なことに雲がどんどん湧いてきてエベレストは見えない。
ローツェやアマダブラムが少しだけ、顔をのぞかせる。
お昼はホテルで親子丼をたべ、シェルパミュージアムを見物するため下山。
雄大が日本のエミリからの電話で、プラビンがカトマンズの中国大使館にビザを取りに行ったらしまっていたと言っていた。チベットの動乱のあおりだけど、一応国境は3月一杯閉鎖のため、ビザがおりるのはそのあとかもしれない。幸い体調は三日目にしては快調。心臓も変な動きをせず頑張ってくれている。それにしても、チベット入りのめどが立たないのは気分的に良くない。それにもめげないで全員、体調、体力、気力をしっかり保ち上げていかなくてはならない。

<三浦豪太日記>

昨夜、夜半から雨の音がすごかった。
朝起きてみると一面雪化粧!!!
ナムチェの雪の朝はとても綺麗だ。
今日は高度順化でシャンボチェにいきエベレストビューホテルで昼食をとり、その後シェルパ博物館に行く予定だが、なかなかハードなので、疲れたら途中でも帰ろうということになった。
しかし、結局全部の行程を行うことになる。
朝方、スタートしたときは小雨が降っていたので、それなりの準備をしていったのだが、途中から太陽が顔を出し、とても暑くなってくる。
ここはプラス30度近くから、氷点下まで温度差が激しい。着るものの調整をこまめに行う。
僕たちがまず目指したのはピンゾーさんのおうち。
ピンゾーさんとは、父が1972年にエベレスト大滑降をして以来、の家族ぐるみの付き合いだ。
残念ながらピンゾーさんはほかのお客さんをトレッキングに連れていて留守だったが、ピンゾーさんの奥さんと娘さん、そして娘さんの子供が迎えてくれた。
ここにはチベット犬がいる。
うちにもチベット犬がいてよく見ると似ているような気がする。

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エベレストビューホテル 親子で親子丼

うちのチベット犬は姉の犬だが、姉によると、チベット犬は狛犬の原型だそうだ。
チベットでは僧侶に飼われていて、巻物を持ってきてくれるというとても賢い犬種だというのだが、うちの犬に新聞を持ってこさせようとしたら、新聞を口に咥えることができず断念した。
ピンゾーさんの犬はクッキーをほしがっていたので、クッキーを餌にお座りとお手をさせようとしたが、どうやら英語と日本語は通じず、ただ単にクッキーを持ってかれてしまった。
ピンゾーさんの家での接待とご挨拶がすむと今度はエベレストビューホテルまでいく。
ナムチェからピンゾーさんの家、そしてエベレストビューホテルまで500mほどの標高差があるが、今回の父は一味違い、とてもいいペースで歩く。
心臓も正確なリズムを奏でている。とても調子がいい。
これまで父が不整脈に苦しんでいた(?)事を忘れるような歩きだ。
しかし、ここは油断禁物、いつも調子がいいときに失敗することが多いので気をつけよう。
エベレストビューホテルはその名のとおり、エベレストが一望できるホテルだ。
石造りのとてもいいホテルで、日本人の宮原さんが作ったホテルだ。
僕たちはここで食べる親子丼が大好きだ。
エベレストの景色もそうだが、ほとんど親子丼目当てにここまで僕は登ってくる。
実際、エベレストは厚い雲に覆われていたため、見えなかったが、さほど残念には思わなかった。
三浦親子は親子で親子丼を食べた。
これをしたいがためにここまで来たようなものだ。

エベレストビューホテルで落ち着いていると、突然雲に覆われ寒くなる。
あまり体が冷える前に下りようと下山をする。
次に向かったのがシェルパ博物館。
ここにはシェルパの登山の歴史や生活様式、シェルパ文化の祭典の模様などが展示してある。
シェルパというのは「東から来た人」という意味で、チベット人が東に来たという意味を持つ。チベットからヒマラヤ山脈を越えた南東側 ― つまりネパール、ブータン、インドに住み着いたチベット人がシェルパだという。
実際、シェルパ達の生活様式、言葉、宗教観など、チベットととても似通っている。
彼らが生活に使っている家や家事の道具が展示してあり、どれも実際に使ったことがあるような生活感あふれたものばかりだ。
登山の歴史を見ると、さすがに圧巻で、シェルパがこれまで世界の登山隊に貢献した影響力の強さを垣間見ることができる。またエベレストの複数回登頂経験者の写真がずらりと飾られていて、
そのなかに、いくつか見覚えのある顔がある。僕たちの遠征をこれまで助けてくれたシェルパや今回の遠征の手助けをしてくれるシェルパ達だ。改めて彼らのすごさを感じる。
ただ不思議なのは、シェルパの登山史の中で一番最初に写真が飾られているのが僕の父だった・・・考えてみれば、現在現役の登山家でこれほどネパールの登山と長い付き合いをしている人もいないのだろう。その横には有名なヒラリー氏とテンジン・ノルゲイ氏の写真が飾ってある。
朝から動き始めて、博物館を見終えたのが3時を過ぎていた
さすがに疲れたのでサクラロッジに帰ることにする。

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シャンボチェに高度順化に向かう三浦雄一郎

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天気 Weather  
天気 Weather: 雨、くもり、時々晴れ
気圧 Pressure:
気温 Temperature (Hi/Low): 最低-7度、最高28度
湿度 Humidity: 56%
風速 Wind Speed: 6m
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point ナムチェ 3440m
中間地点 Mid Point エベレストビューホテル 3880m
最終地点 Finishing Point ナムチェ 3440m
食事 Meals  
朝食 Breakfast シェルパスープ、芋パンケーキ、オートミール
 
昼食 Lunch 親子丼、味噌汁、漬物
 
夕食 Dinner ヤックステーキ、茹で芋、トマトスープ
 
Today's Biometrics

遠征日記 3月23日

<三浦雄一郎日記>

朝6時30分起床 7時30分出発。
心臓の調子もまだ無理はできないけど良好。大滝チームはモンジョに泊まるという。途中ずいぶん大勢のトレッカーに会う。そのなかでも、日本からの中高年の女性達が目立つ。ジョスラムでのんびりと2時間ほど昼飯をとって休む。 ゆっくりと出発。
ナムチェへ向かう最後の長い長い登り。 一度、10分ほど休んだだけで、好調に上り続ける。
ナムチェについたらすぐにエベレストベーカリーで、アップルパイやチョコレートケーキを楽しむ。
ネパールでただ唯一、本物だけを売っているインターナショナルマウンテンショップIMSで雄大が下着を、僕はジョルボのカテゴリー4のサングラス、膝のサポーターを買った。ノースフェースの帽子があったけど、これはネパール製らしい。今回ほど順調に、ナムチェに全員無事に着いたのは、過去数回で初めてであった。特に2003年は雄大がすごい下痢で僕は足に1kgをつけて、すっかりまいってしまった、また風邪をひいたりで、今までロクなことではなかった。
さくらロッジには、カナダの高校生グループが15人ほどいた。すこぶる元気で明るい賢い高校生達。毎年このような海外のエクスピディションをやっているらしい。今回はエベレストベースキャンプ、カラパタールなどのトレッキングをしてきたと言っている。引率のマイク先生が僕のエベレストの映画を見ていたので、高校生達も大喜びで記念写真を撮ったりした。

<三浦豪太日記>

今日はパクディンからナムチェまでの長い道のりだ。
標高差は800mほどある。
行動時間も今回の行程では長いほうなので朝7時半に出発した。
今日も天気がとてもよく、おかげで気分晴れやかにトレッキングができる。
歩くことが、うつ病に効くというのを聞いたことがある。
体を動かすことでホルモンのバランスが安定して気分が高揚するからだというが、僕はうつ病ではないが、これほど天気の中で気持ちよく歩くとどんな病気でも治ってしまうのではないかと思う。
もともと、昔、人間はかなり歩いていた。原始時代より狩猟のため獲物を追いかけたり、環境の変化でやむを得ず移動を余儀なくされた場合もあるだろう、最近(?)では江戸時代、坂本竜馬らが土佐から江戸まで歩いてきたというからびっくりだ。
ともかく、人間、かなり歩いても悪いことはないと思う。
このエベレスト街道は幸い歩くしか移動手段がない為、誰しも歩かざるを得ないのだ。
荷物も建材もイッサイガッサイ背中にしょったり、頭にくくりつけたり、ヤック(高所に適応した牛)やゾッキョ(ヤックと牛のあいのこ)に荷物をのせ、自分の3倍もあるような動物のおしりを引っぱたきながら歩く。
たまに、不良のゾッキョや荷物運びに疲れてふてくされたヤックがいる場合、お尻を引っぱたいている人が自らその荷物を運ぶことになる。実際その現場を見たことがあるが、ヤック使いはその重さを持っていても他のヤックの尻を引っぱたきながら山を登る。
いままでヒマラヤのトレッキングで、かなりすごい荷物運びの人を見たことがあるが、今日はその中でもびっくり人間に出会った。なんと120kgの建築木材を運ぶ人たちだ。
自分の身の丈3倍もあるような木材を頭にくくりつけて運ぶのだ。
木材は4m以上あるので、当然人の体から上にも下にも飛び出る。問題は下方に飛び出た部分で上りだったらまだいいが、下りは斜面に引っかかるので、かなりお辞儀をしなければいけない。120kgを背中にしょってのお辞儀だ。
僕は120kgを想像してみた・・・僕の兄は大きく、トレッキング前に体重を量ったら110キロあった。ということはさらに1リットルボトルを10本持った状態の兄を背負わなければいけないのだ。その想像は考えただけでも暑苦しかった。
そんなことを考えた途端、荷役の彼らを最大限の敬意を表して道を譲った。

途中、昼食時間を長めにとったので、ナムチェに着いたのは午後4時だった。
僕が大好きなエベレストベーカリーでアップルパイと紅茶を飲む。
ナムチェという町は不思議なところだ。標高3440mの山間に突然、坂に作られた町が現れる。
ここはチベットとネパールの交易が昔から行われていたところで、土曜日になると必ずバザールが行われ故、ここはナムチェバザールと呼ばれている。
登山の基点になる場所で昔から各国の登山隊がここで最後の準備を行う。
その為、山の中のそれぞれの建物は伝統的なシェルパつくりの建物だが、インターネットカフェや銀行があり、さらになかなか日本でも手に入らないようなグッズがそろっている鋭い登山用具店、そしてここのベーカリーのように本格的においしいレストランがある。
僕たちの泊まるロッジは「さくらロッジ」といい、僕らのサーダー(シェルパ頭)のラクパテンジンさんの宿だ。日本びいきのラクパがつけた素敵な名前のロッジで、料理もおいしい。
しかし、ここ最近、観光客の増加から、周りには一流ホテルのような宿が出現している。
僕はその為、昔ながらのさくらロッジのように味のある宿はなかなか太刀打ちできないのではないかと心配したが、今日、なんとここにシャワー室ができたのを発見した。
ナムチェの高度成長に遅れないようにラクパさんが企業努力をしたのであろう。
明日早速入ってみることにしよう。

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材木を運ぶ

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天気 Weather  
天気 Weather:
気圧 Pressure:
気温 Temperature (Hi/Low):
湿度 Humidity:
風速 Wind Speed:
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point パクディン 2600m
中間地点 Mid Point ジョサレ 2700m
最終地点 Finishing Point ナムチェ 3440m
食事 Meals  
朝食 Breakfast ゆで芋、ゆで卵、チベッタンブレッド
 
昼食 Lunch ゆで芋、パスタ、ゆで卵
 
夕食 Dinner ハッシュブラウン、ガーリックスープ、ヤックステーキ
 
Today's Biometrics

遠征日記 3月22日

<三浦雄一郎日記>

カトマンズのホテル、夜中に三回ほど目が覚めてしまい、気がついたらあっとゆう間に4時のモーニングコール。5時30出発。空港には沢山のトレッカーたちがいる。
いつもは朝から昼まで飛行機の出発を待ったりするのに、今回はあっという間に飛び立った。朝もやのカトマンズを後にルクラ目指してイエッティ航空のツインオッターが飛んでいく。
40分ほどでヒマラヤの斜面に張り付いたルクラの傾いた滑走路を登りながら、着地。
いつものロッジで朝飯、おいしいジャガイモをほおばっているうちにやっと昇った太陽。
パクディン目指して出発。1ヶ月程前にトレーニングで痛めた右膝内側まだ痛むけど、用心しながらストックを突きつつゆっくりと歩く。心電計で計っても心臓の乱れはないので、一安心。
出発前に、東京のベースキャンプの低酸素室で4000m~5000mに十回ほど入ったせいか、標高2500m前後ではやや息切れはするけど、好調なペースで歩き続ける。
5時間ほどでパクディンに到着。こうした朝の早い移動はのんびり歩いても目的地に早めにつけるので、午後の時間がたっぷりとれて有効だ。夕方パクディンの向かい側の道を、雄大、ごん、五十嵐と歩く。なんとなく懐かしい感じがした ― この道は、1970年のスキー滑降のときに通った道だった。約1時間一汗かいてロッジに戻った。

<三浦豪太日記>

今日からいよいよチョモランマに向けての高度順化が始まった。
朝、4時15分に起きて5時15分にホテルを出発。
今日は珍しく、飛行機がスムースに乗れて、なんとルクラに7時15分に到着した。
いままで、これほどスムースにルクラに行ったことはない。
いつもルクラ近辺の天気が悪く、朝の6時から飛行機を待っても、結局飛ぶのは12時ころになるのはざらだ。
だから、今日ルクラに朝7時についてしまったことにおどろいた。

天気も抜群にいい。ルクラの飛行場からコンデリがくっきりと見える。
ルクラからパクディンに向けてトレッキングを始めたのは、朝食を終えた9時だった。
今回のトレッキングはキャラバンスタイルではなく(自分達でコックを連れて行きセットされたトレッキング)、むしろバックパッキンに近い形だ。

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40年前、エベレスト大滑降に向かう時に通った道のり。今はほとんどこちらは使われていない。

エベレスト街道のバティと呼ばれる宿に止まりそこの食事を頼む。
ここエベレスト街道はバティに困ることがない。
特に最近、ネパールの情勢が安定し始めたため、特にヨーロッパ人やこれまで敬遠していたアメリカ人、オーストラリア人などが大勢入り込み、バックパッキングを楽しんでいる。
その為、ここの街道はとても整備が進んできた。
道は相変わらず、土だが前のようにでこぼこが少なくなっている。また、新しい橋や新しく綺麗なホテルと見間違うようなバティもできている。

やっぱり、ネパールのトレッキングは楽しい。
一週間ほどカトマンズで準備の毎日だったので、新鮮な高所の空気を吸いながら歩くことが幸せに感じる。カトマンズでは20~25度ほどあったのが、ここは朝9度と少しひんやりとした空気を吸うのも新鮮だ。

写真を撮りながらのんびりと歩く。
今日はルクラからパクディンの標高に降りることになる。
あまり道のりも長くないので、ゆっくりと歩いたり、途中のバティでお茶を飲んだりしてのんびりムードだ。

パクディンについてから、昼食を食べるとものすごく眠くなる。今日朝が早かったせいだろう。
夕方、父、兄、そして五十嵐さんと向かいの村に行くことにした。
父は向かう途中、ここは40年近く前にエベレスト大滑降をしたときにジリから通った道だと紹介してくれた。
なかなか歴史のある場所に少し感動する。

明日はナムチェ、ここから1000m近く標高があがる長い道のりだ。

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天気 Weather  
天気 Weather:
気圧 Pressure:
気温 Temperature (Hi/Low):
湿度 Humidity:
風速 Wind Speed:
風速 Wind Direction:
天気 Today's Activity
出発地点 Starting Point カトマンズ 1600m
中間地点 Mid Point ルクラ 2700m
最終地点 Finishing Point パクディン 2300m
食事 Meals  
朝食 Breakfast
 
昼食 Lunch パスタ、スープ
 
夕食 Dinner パスタ、芋
 
Today's Biometrics